新一万円札は「渋沢栄一」2004年以来の刷新

by i Sayama事務局
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埼玉県深谷市出身、渋沢栄一翁が一万円札に。

現在の紙幣の肖像は1万円札が「福沢諭吉」、五千円札が「樋口一葉」、千円札が「野口英世」です。一万円札が福沢諭吉になったのは1984年からで、樋口一葉と野口英世は2004年から。元号も平成から「令和」となるなか、日銀が紙幣の肖像を2024年から新しいものに変更する方針となりました。

新しい肖像には一万円札に埼玉県出身の”日本資本主義の父”といわれる「渋沢栄一」が採用されることになりました。

県北深谷市の出身で、地域でも大きな農家で商業なども営む家に生まれ、のちに第一国立銀行(現みずほ銀行)や多くの企業の設立にかかわりその奥が現在でも上場企業として残っています。

Eiichi Shibusawa

また五千円札には日本における女子教育の第一人者で津田塾大(当時女子英学塾)の創始者「津田梅子」が採用されます。

津田梅子は1971年6歳にして北海道開拓使が募集した日本最初の女性留学生としてアメリカに渡ります。ワシントン郊外のジョージタウンで生活しながら初等、中等教育を受け、アメリカの生活文化を吸収して成長した梅子は11年後の1882年に帰国。帰国後の日本における女性の社会的地位を見てショックを受け、女性の地位向上のため女性教育に力を入れます。再度の留学で得た知識を元に1900年、女子英学塾を開校、のちに津田塾大学となります。

千円札には北里柴三郎が採用されます。日本の医学者・細菌学者であり、破傷風の免疫抗体を発見しその治療法を開発、またペスト菌を発見し感染症医学に大きな影響を与えました。

日本の細菌学の父として知られる北里氏は1890年に世界で初めて血清療法を発見し、破傷風毒素に対する治療法を発見しました。1894年にはペストの病原菌を発見しました。

1916年には大日本医師会を設立し会長に就任、翌年には慶応義塾大学医学部の創立にも関わり初代学部長となりました。

Kitasato Shibasaburo

なぜ新紙幣になるのか?

日本の造幣技術は非常に高いレベルにあるため、偽の紙幣などを使えばすぐにわかってしまいます。しかしながら20年に一度くらいの周期で紙幣のデザインを刷新することで紙幣偽造の抑止にもつながります。

2004年から採用されている五千円札の樋口一葉も高額紙幣であるため2014年には紙幣の左下についているホログラムが刷新されより偽造しにくい技術が取り入れられるなど、肖像はそのままでも偽造防止の新しい技術が盛り込まれたりしています。

今回は年号も新たになり、また自動販売機などの機器の更新などを行う事で景気の刺激にもつながるという意図もあるようです。

二千円札はどうなった?

関東などでは殆ど目にしなくなった二千円札も沖縄などでは使われています。2000年沖縄サミット開催を記念して発行された紙幣ですが、沖縄の首里城がデザインされているため「二千円札についてはそれぞれの都道府県にちなんだ肖像や建設物などを採用してはどうか?」などの声も上がっていました。つまり地域別にいろいろな図柄の二千円札があるというものです。もしそうなったら埼玉の二千円札に渋沢栄一翁だったかもしれません。

いずれにせよ、いろいろな施策がされる中、効果のあるものに繋がってほしいものです。

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